昇降口まで行き、自分の靴を履いた時だった。
「カノジョ欲しいの?」
まただ。なんだ、冗談抜きで馬鹿にしてるのか?
「うっせぇなさっきから何なんだよ! 欲しいに決まってんだろうが!」
いい加減頭に来た! 振り向きザマに大声でそう言った先には――拍子抜けした。
赤や黄色、紫、ピンク、そんなつぎはぎだらけの、ウサギのぬいぐるみがあった。いや、「あった」というよ
り、それは――立っていた。
「モヒヒヒヒ! 欲しいんだ、欲しいんだカノジョ!」
「お、おま――しゃべりやがった!?」
「欲しいんだぁー。そうかー、そうだよねぇ。じゃあさ、カノジョできないようにしてあげちゃうよ! 死ぬま
でじゃなくて、死んでもできようにね!」
「ぬいぐるみのクセに何を――うぉっ!?」
突然カッという光に、視界が阻まれた。カメラのストロボのように。
「モヒヒ! モヒヒヒヒ! いいぞいいぞ! 恋人なんて出来なくなってしまえ! なってしまえ! モヒヒヒ
ヒヒ!」
「う、うっせぇなぬいぐるみが! おまえなんなんだよ!?」
さっきのストロボのような光りで焼き付いた目が治ってきた。ぬいぐるみはまだそこにいて、くるくると輪を
描くように動いている。なんかむかつくなこいつ。
「モヒヒヒヒヒ! おまえはもうカノジョできない! 誰からも好かれない! 死ぬまでも、死んでもカノジョ
なんてできないよ~! 楽しいな楽しいな! モヒヒヒヒ!」
「ふっざけやがって! 馬鹿にするのもいい加減にしやがれぇあっ!」
ぬいぐるみだろうがなんだろうが、許さんぞ! とりあえずとっ捕まえて雑巾にでもしてやるぁっ!
「おっとおっと!」
四〇センチくらいのそいつは、俺が掴みかかるとひょいと避ける。
「モヒヒ! モヒヒヒヒ! 怖い顔、馬鹿そうな顔! そんなんじゃ呪うまでもなくカノジョできそうもないよ
ねぇ! モヒヒヒヒ!」
「気にしてることをいちいち! 待ちやがれ!」
「モヒ! モヒヒ!」
ウサギらしくぴょんぴょんと逃げる。――が、大人しく逃がしてやるわけねぇだろうが!
このむかつくことをきわまりないクソウサギとの追いかけっこが開始されたわけだ。
久しぶりの全力疾走。土足で廊下を駆ける。そんなに汚れているわけでもないし、すぐに捕まえて出るから問
題なしということにしておく。
追いかけっこをする場合、大事なことは三つだ。
一つめは、足の速さ。それも瞬発的に出せることが大事だ。
二つめは空間認識。どんな場所で追いかけているのかということを、きちんと把握することが大事。
そして三つ目が、戦術。相手を追い込むことができれば、捕まえることは難しくない。
姉たちとやった追いかけっこで、なぜか俺はそんなことを教え込まれた。
今は中央廊下を西側へ逃走中。この先には一年の教室が並び、その先は行き止まり。教室に逃げ込まれる可能
性はあるが、狭い空間に入ることはしないだろう。逃走経路を考える。行き止まりは曲がるとすぐに見えるは
ず。そうなるとやつが取る行動は、階段の使用。つまり二階への逃走。
五メートルほどの距離を維持しつつ、角を曲がる。ウサギは案の定二階への階段に入った。
かなり早い。こっちも遅れは取れない。なるべくならこの距離を維持せねば!
必殺の六段跳ばし。助走もついているし、履き慣れた靴なので余裕だ。
「モヒ!? 意外と早い!」
「あったりまえだ!」
チャンス! 後ろ振り返るのは大きなロス。連続の六段跳ばしの直後、手を伸ばして掴みにかかる! が、こ
いつクイックターンしやがった!
オオカミに追いかけられる野ウサギがやるような――もっと一般的に言うと、バスケのフェイクのようなもの。
右に行くと見せかけ、左に行く、アレ。
さすがに対応できず、このチャンスは逃してしまった。
くそ!
二階から三階へ! 俺の追跡能力にやつの判断が鈍ったのか。三階より上は屋上しかない。二階から一階、そ
して外へと――というのを想定していたので、予想外だ。
三階での捕獲は見送り、プレッシャーだけにしてやる。三階は屋上まで追い込みやすい構造なんで、追い込ん
で屋上で捕まえてやる!
ウサギはそのまま屋上への階段を上がる。うちの学校は屋上は開放されているので、鍵はかかっていない。ド
アノブはどうするのかと思ったが、このウサギはドアについている窓に体当たりして、割って出た。外観とは
違ってワイルドなことをやってくれる。
俺も屋上に出ると、ウサギは突っ立っていた。
追い込まれたことをやっと自覚したのか。とにかく動いていない。この状況は冷静な判断が必要とされる状況
ではない。とにかく一気に詰め寄り、捕獲してしまうことにする。
さっきも言った瞬発力だ。距離は約七メートル。ペース配分も何もなく、全力で飛び込めば一秒以下で移動で
きる!
「おりゃっ!」
「モヒっ!?」
ヘッドスライディングのように飛び込み、両手でウサギを捕獲。ぬいぐるみとは言え、ツメとキバに注意して
両腕の付け根を抑え込んだ!
「観念しやがれクソウサギが!」
「モ、モヒー!? 動物虐待反対!」
「うるせぇ。てめぇはこのまま雑巾にしてやる」
「この悪党!」
「何とでも言え。さて、雑巾にしてやるまえに軽くいじめてやるかな」
「最悪! そんなんだからカノジョできな――うぶ」
「おっとこれ以上それを言うんじゃねぇぞクソウサギさん。さて、どうしてくれ――ん!?」
頭上、何かが迫る気配!? しかもかなり危険な――
「うぉあっ!?」
