序――

 杯(さかづき)に湛えられるのは、空気より透明な酒。 波打つその表面は時の流れか――人の心の

 ように不安定。 乾いた杯は唄う。注がれる酒を導き寄せるため――杯は唄う。 杯――命を生み出す、

 時間(とき)を支配すると言われる、床である。 杯は唄う――注がれるべき酒を誘(いざな)うために。

 

    1  歌

『四番線に電車が参ります。危険ですので――』
 アナウンスの流れる、平日朝の駅。混雑を避けてか、車両の止まらないホームの先端には二人の

 青年がいた。一人は、銀色の伸ばした髪で長身。レザーのロングコートをまとい、下は脚にフィット

 したズボン。そして、下駄を履いている。

「なぁ由香、何人くらい巻きこんじまうかね?」
 言った銀髪の青年は隣に座り込んでいた青年に言った。真っ黒な長い髪に、女性のように白い肌。

 閉じられた目は、不思議な知的匂いを発していた。
「聞いてんのか? 由香(ゆか)?」
「……聞こえてる」
「返事くらいしろよ、だったら」
 金髪の青年――その名を南条(なんじょう)穂駆(ほく)という。彼が話しかけているのは南条由香。

 義理の弟になる。轟音を立て、電車がホームに入ってくる。その音はまるで、人間の作った文明を

 誇示しているようである。穂駆は顔をほころばせた。
「おうおう、満員電車ご苦労さんだね。がんばって働いてくださいな」
「来るぞ」
「ほいほい。やっとお出ましかい」
  穂駆はコートのポケットからサングラスを取り出し、かけた。由香は目を閉じたまま立ち上がり、

 さらし巻きの棒を持った。
「数はわかるか由香?」
「程度の悪いのが二匹……日登美(ひとみ)の言った通りだ」
 言いながら由香はさらしを捨てた。その下には黒い鞘に収まった日本刀。オブジェではなく真剣と

 いうのはそのもの自体が発するまがまがしい殺気で伺える。電車が出た――同時に起こったのは

 人の悲鳴だ!
「見えねぇぞ!」
「話が違う! 発生じゃないのか!」
「勘でやってやるよ! 由香!」
 込み入ったホームに並ぶ人々の中の数名が突然血しぶきをあげて倒れ伏す。そんな中に、穂駆が

 つっこんで行った。
「おらおら退けぇ! 戦えねぇ奴はすっこんでろよ!」
  サラリーマンや学生たちがパニくるのも無理はない。
  また一人、頸もとから血しぶきを立てた! その角度を見て、穂駆はあたりをつけた。
「そこか!」
  振り下ろす手にはいつの間にか刀が握られていた。ズバッという気味のいい音と共に、白濁とした

 液が、なにもないところから吹き出た。
「穂駆! 場所を変えろ!」
「わかったよ! おらおらついて来い! おまえさんらの餌はこっちだ!」
 見えない相手に挑発すると、穂駆は後ろに飛び退き、ホームを後にした。駅から遠くない、開店前の

 デパートの駐車場。由香たちはここへと敵を誘導してきていた。
「なんで見えねぇんだよ!」

 あらかじめ得ていた情報との食い違いに、穂駆は毒づいた。
「朝だからな。太陽の力が強い。それにあいつらは刺客だ。発生とは違う」
「だろうよ」
 気配は増えていた。先ほど現れた二匹に加えて、さらに三匹の気配が加わっている。由香は目を閉じたままだ。
「日登美からは?」
「連絡はこない。何とかしてみせろってことだろ」
「かーっ! 無責任な女だ!」
 ギッと刀を握ると、由香も抜いた。

ダンッ!

 何かが跳んだ! 穂駆が身を翻して見えない攻撃をかわした! 着地の音を頼りに、由香が斬りつける!
「ギャオオオウ!」
 人外の悲鳴を発し、体液を飛び散らしたそれが姿を現した。
 四つ足で、犬のような形をした獣。背中からは二本の腕が、鋭い爪を持ってのびている。
「けっ、妖怪犬か」
 穂駆は不適な笑みを浮かべ、由香に斬り殺された死骸をみやった。


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