4   杯に注がれるもの

 杯の歌はいつもより強い。
  眼下はネオン眩しい大都会だ。
「かなり来たね」
「ああ。もう東京だ」
  ライトアップされた東京タワーも見える。
  そんな都市の遙か上空に、由香は一点の光を見つけた。
「あれは!」
「杯!?」
  二人の体が、急激な緊張に襲われ固まった。
  ぼんやりとした光に包まれていて、形の特定はできない。
  そんなに大きいものでもなく、人間サイズだ。
  歌は、この歌はたしかにそこから聞こえてきている。
「由香、聞いちゃダメ!」
「わかってる……」
「由香ってば!」
  沙紀が由香を揺すった。しかし、由香の目線は杯に釘付けになっている。
  ものすごい快楽が脳を直撃している。
「由香――」
  沙紀の声が遠い。
  歌だけが暖かい……このまま聞き続けたい……日登美が……そこにいるのか……。
「由香!」
  沙紀はハッとなった。由香の表情にだ。すぐさま、由香の頬をひっぱたく。
「由香!」
「ぐっ!」
  ひっぱたかれた由香は正気を取り戻せた。危うく、酔ってしまうところだった。
「すまない」
「気をつけて。行ってみよ、杯の所に……」
「ああ」
  ――街はともかく、夜魔も、操士も、法師も静かだ。おかしい。あの杯は本物なのか? だ
が、幻術だとしたらあの歌の真似はできないはず……。
  そう思いながら、由香は杯に近づいた。
  もう少しで輪郭が見えそうになった時、勘が危険を知らせた。
「由香!」
  沙紀が警告を告げると同時、由香は見えない力に引っ張られて落ちていった。
「由香!」
「くっ! 滝雪!」
  その引力からは地面に激突する寸前に解放された。
  由香が降りたのは市街地のど真ん中。周囲の人々は人が降ってきたと、騒ぎ出した。
  さあーっと退いた人混みの中でも、こちらを見据えて動かない、腰の曲がった老婆が一人。

 何も言わずに、由香は刀を構えた。
「ずいぶん、派手な所だな」
「杯は動かせんのだ。仕方あるまい」
「滝雪ね!」
  由香の隣に、沙紀も降りてきたのを見て滝雪は目を細めた。
「な、何よ!」
「若いと思うての」
  老婆のしわ深い顔には笑みが浮かんでいる。何を思っているかまったくわからないが、その
笑顔が沙紀に当てられているのは確かだ。
「わしがこの姿になってから二千年かの。体は若く造れても……」
「やだっ」
  言いながら滝雪は沙紀そっくりに変身して見せた。声まで同じになる。
「しかし、雰囲気までは真似できんのだよ。当然、子をなすこともできはしない」
  元の老婆の姿に戻り、滝雪は右手から電柱ほどの氷柱を出しながら言った。
「操士の純血も少ない。先ほど死んだ秋眼は人間からなった者での」
「それが砂髪の狙いか?」
「頭領は子孫繁栄などは望んでおらぬ。もっとも、頭領の考え、正直にはわしらにもわからぬ
。だがそのことだけは確かなのだ。子孫のことは杯に望んでおらぬ」
  終始、滝雪は笑顔。
「どこまで知っている?」
「頭領は命の床と言っておられる。知っておらぬのか? 命の床はその名の通り、命を宿すも
の。わしら女と同じにの。たた、杯にできた命は純粋なのだ。おぬしなら、夜の貴族が生まれ
ようぞ」
  出した氷柱の、輝く表面を撫でながら滝雪は言う。
「おぬしも子が欲しかろう……由香? クックック……のう、沙紀よ?」
  沙紀の体がピクッと動いた。
  ――見られてる、心の中!
「喰いたいのだろう、由香?」
「言うな」
  噛み殺した声で、由香はそう言った。
「わかるぞ、おぬしの心。惚れた女の体はどんな味が――」
  由香が飛び出した。


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