杯
「相性というのがあるんじゃよ、頭領。人同士にも、術にもの」
氷巨人はゆっくりと、砂髪へと向いた。主導権は砂髪から、滝雪へと移されている。
「使いなされ頭領。でなければ、わしには勝てぬぞ」
「……知っていたのか?」
顔をしかめ、驚愕を噛み殺した声で砂髪は言った。
「見当はついとった。心眼があるとな、知りたくもないことまで見えるのじゃよ」
「ふふっ、そうだったな――。
もう夜も明ける。いい伽をしてくれたな滝雪。そしてさらばだ。操士は今日、滅びるだろう
。
オレを残してな!」
最後の一言で巻き起こされた砂嵐が火の矢を掻き消した。
「純血は得られずとも、人間を操士に変える術はいくらでもある。夜の貴族を始末し、杯を得
る。そして、我ら操士が全権利を握る時をもたらすのだ」
「陳腐な夢よのぅ」
「いい加減、歴史の裏にすらいられない生活に嫌気が射してきたのだ、滝雪。オレはすべてを
手に入る。……杯もな。そう、よく見ておけ。この力をな!」
砂髪の実体が消えた。
だが存在はその場にある。次に何が起こるのか、滝雪には予想がついていた。
存在が動いたと感じ得た瞬間、滝雪の肩が吹き飛んだ。それは実体だけではなく、確実に存
在にも及んでいた。
「ぐぅっ!?」
肩を吹き飛ばしたそれは砂髪ではなかった。別の何かが、肩に食らい付いている。
激痛が襲う中、滝雪はにやりとして言った。
「くっくっく……逆蛇(さかへび)とはのう、頭領」
逆蛇――存在を喰らう夜魔であり、操士の大敵である。
「融合しとるようじゃの」
逆蛇もまた、操士のように実体と存在とにわかれている。砂髪は逆蛇の存在をとらえ、融合
を果たしてしまっていた。
強烈な力で、砂髪の逆蛇が滝雪の存在を喰う。
だが、逆蛇の口もすぐに止まった。白銀に輝く氷の結晶が、逆蛇のシルエットを描き上げた
。
「ぬっ……」
「逆蛇とて所詮は夜魔。それだけではわしは殺せぬよ、頭領」
砂髪はすぐさま逆蛇をしまい、また別の何かを繰り出した。
「雨女(あまめ)じゃと!?」
逆蛇同様、存在を喰う夜魔であるが、こちらは実体と存在にわかれていない。
雨女はその名の通り、雨でできた女型の夜魔である。髪を振り乱す裸の雨女が複数、滝雪へ
と襲いかかった。
全員が牙を光らせる中、滝雪はもう吹雪を起こした。
すると、雨女は一瞬で凍りの彫像を化し、強風に粉砕された。粉々になって落ちるその破片
は大人しく蒸発してはくれなかった。
一片一片が逆蛇へと姿を変えた。数にして数百。
半分以上が幻術とは思うが、存在すらを幻覚させる砂髪の幻術。本物の存在を見極めるのは
困難だ。
砂髪が何らかの術を施したためか、吹雪を受けても逆蛇は凍らない。
吹雪を止め、氷の刃を放って逆蛇を薙ぐが、どれもが実在するような感触を返す。
滝雪は体の鈍りを感じた。先ほどの傷のせいで、存在が希薄になってしまっている。苦痛は
ないが、感覚や力、存在や実体に対する干渉力が著しい低下を見せていた。
吹雪が利かないのはそのためだろうか。
一匹が喰らいついた時点で、滝雪はその覚悟を決めた。
「ぐおおぅぅぅ……!」
動きの止まった滝雪に、何百という逆蛇が食らい付いた。逆蛇は争うように滝雪の存在を噛
み千切る。
滝雪の叫びは逆蛇の鱗が擦れ合う音でかき消されてしまう。
砂髪は実体と重なると、もう数匹の逆蛇を追加して踵を返した。
「……さらばだ、滝雪。逆蛇に喰われればオレと同化したことになる。光栄に思って欲しいも
のだな」
逆蛇を残したまま、砂髪は向かった。
――杯の下へと――。
