杯
穂駆と恵麻は、すぐさま沙紀を見た。
――沙紀はそこにいる。だがしかし杯は……。
「ひ…日登美……? 日登美…なの?」
沙紀は錯乱する頭を必死になだめ、そう紡ぎだした。
三人の前には杯――日登美が浮いていた。ぼんやりと発光する彼女は無表情で、沙紀と同じ
体、同じ顔、同じ服装だった。
「杯……っんとにわけわかんねぇな……」
ギリッと、穂駆は刀を構えていた。恵麻も同様に、身構える。
杯は日登美の格好で、確実な気配を放っている。そして少し開いた口からは美しい歌が歌わ
れていた。
「沙紀、日登美はなんつってる!」
「う……え……」
一筋の汗が――沙紀の頬を伝った。
「沙紀!」
「聞こえないのよ!」
穂駆が怒鳴ると、沙紀は頭をかきむしった。ヒステリックな彼女の声が杯の歌をうち消すよ
うだった。
「日登美……」
穂駆が杯を睨め付けてそう言うと、歌はすうっと消えた。
「裏切る気かよ……日登美」
『どうゆうこと?』
それは紛れもない、日登美の声だった。
全員の背中に悪寒が走った。
『わたしもね、今さっき気づいたばかりなの。整理させてもらえないかしら?』
腹ただしいほどの冷静さで、彼女は言った。
白い腕を動かし、長い髪をからめ取り、杯は日登美の目で天を仰ぎ見た。
東の空は急激に明るくなってきていた。
まるで、自分の髪の感触を楽しむかのように、日登美の手は動いていた。
穂駆も恵麻も、体が動かない。術や語法が働いているわけでない。杯の威圧感とも言うべき
それが、周囲から動きというものを奪っている。
あまりにも神々しく、妖艶たる空気が濃度を高めていく。
『選ばれた……そういうことかしら?』
日登美はそう言い、目を細めた。
『わたしは杯として選ばれて……フフ、由香ちゃんはその杯に選ばれた。そういうことかしら
?』
「どういうこ――沙紀!」
「くううっ! あああ!」
激しい嘔吐感に襲われた沙紀が倒れた。穂駆は言葉を止め、彼女を支えた。
「恵麻! 沙紀を!」
「う、うん!」
「日登美! どうゆうことだよ!」
日登美はすっと目を閉じた。
『――沙紀っていう人格はね、本当は最初からいたのよ。わたしが日登美として生まれる前か
らね。』
